自己紹介

「倹約すれば、何でも手に入る!」、これがモットーです。

 私は小学校教師として30有余年過ごして退職し、その後、宮司の資格と土地建物釣り扱いの資格を取り、余生を送っています。後期高齢者です。その他、教員退職後に、自分で勝手に「適齢期の子供を持つ親の会」を8年間やりました。若者の現状は非常に厳しいことが実感できました。なかなかいい話にならなかったのですがその原因の1つの給料が安い、収入が低いということがあります。

仕事は非正規、給料は安い。お金は労働の対価。

    深刻ですが。この状況は変わることがないという印象です。お金という物は労働の対価であるということは忘れられ、詐欺でも何でも楽して儲けた方が勝つという風潮が日本全国を覆っているからです。元凶は、労働者派遣法ですが、そのことを指摘する政党は日本にはありません。労働者派遣法を廃止して、各地方公共団体が仕事と食料を手配する仕組みを創設するというっ話は聞いたことがありません。聞こえはいいが、つまりはかつての飯場ということです。○○組の代わりにオーナーを見つけたスカートをはいたお姉ちゃんが一人前の顔をして、労働者の給料からピンハネをしているにすぎないからです。定期借地権はその解決手段の1つです。

 

〇旧憲法下でもこのピンハネが合法化されたことはありません。暴力と借金という鎖で多くの労働者と東北の娘さんが、飯場と遊郭に繋がれた地獄がここで姿を変えて出現したということです。しかし、丁寧な説明ということでいつもの手口で、なし崩し的に容認されているのが現状です。何しろ70年を超えても、改憲反対ということで国会議員として収入があるのですから、大鉈を振るうことなど夢のまた夢でしょう。憲法のあるべき姿などをフランスから学ぶことなど夢にも思わないのが実態です。

〇結婚なんかしません。これが正常な姿でしょうか。  

 わたしが、親の会のチラシを渡そうとするとこういって食い掛ってきたのは1人や2人ではありません。運悪くあるいは運よく本人にぶち当たるとこういう答えが返ってくるのです。あの娘さんや息子さんは今どうしているのでしょうか。しかしこれは本質的には本人の責任ではないと思います。あの有名なホリエモンも得意そうに、そして当然のように「子供を育てる気はない」と公然しているからです。ホリエモンだって言ってるだろうヒロユキだって言ってるだろうというわけです。世の中から野良犬の様に放置されている若者と違って彼らはお金を持っているのです。それも莫大なお金です。私たちが目にすることは一生ない額のお金の持ち主です。その脳みそに何が欠けているのでしょうか。よく考える必要があります。つまり、世の中の基盤である精神が崩壊しているのです。しかしことは家族を持たないということは社会=国家に深刻な問題を引き起こしています。知らん顔してみんな知っていることの1つに年金の問題があります。次の世代を育てない御仁は年金を受け取須資格はないという厳しい現実です。年金は貯金の様に自分が納めたお金を利子が付き受け取っているのではないということです。今現在の若者が今の高齢者を支えているという仕組みです。自分が高齢者になった時、その時受け取る年金は、その時において働いている若者の支払っているお金だということです。この事実は黙ってごまかせるものではありません。厳然とした事実だからです。

 

私たちが正常な社会生活をしようと思うのは家族があるからです。    その家族の未来を考え時、晩節を汚すようなことはしまいと考えるのす。人は損得勘定だけで生きてはいけません。人は弱いものです。今日も、86歳の後期高齢者が郵便局に立てこもって逮捕されたというニュースが流れていましたが、もしも彼が家族を持っていたらそんな事件を起こすこと名ど夢にも考えることはないでしょう。仮に考えたとしても「あほかい」と即座に打ち消して、家族のもとに心も体もかえって言ったでしょう。つまり彼は、寂しくていつも1人で泣いていたのです。それも何十年も。

〇人はほとんど何にも民法や不動産登記法や小学校から学んだ算数・数学を知らない。

つまりなにもかも知らなくても過ごすことが出来たということです。これは自分も含めての話です

 私は31歳の時、自分の家を建てることが出来また。借金はなしです。それは兄が建設業をしていたので儲けなしでやってくれたからですが、会社としてはもうけをゼロでも、従業員の給料や材料費・工事費は当然支払わなくてはなりません。当たり前の事です。最後に支払いはその年の冬のボーナスでした。袋をそのまま手にもって支払いを済ませました。給料からも支払ったので財布はほとんど空でした。1月15日までは食料はどうやって手に入れようかと考えたのですが、いい手がありました。正月に子供を連れて歩き、その子供が受け取ったお年玉を取り上げてしのいだということです。今ではそれが本当だったかギャグだったか判断は付きませんがそいうことです。食料品店やスーパーに行けば半額製品に目が行きます,鶏のガラは20円でした.パンの耳も2・30円でした。卵でまぶし、油で揚げれが結構いい味でした。洋服の青山で70%引きの服を手に入れ6年着用しました。35歳で東京出張のためにコートを手に入れましたが「世間の奴らはこんな温かいものを着て冬を過ごしていたのか」と腹が立ちました。 こういう過去を持っての渡世です。